この遺跡は、Ratchaburiの町中、Maeklong川の西岸にあります。
この遺跡は、Dvaravati時代の10-11世紀に仏教寺院として建てられました。
そして、クメール帝国の勢力が強大であった時代には、クメールの影響を受け、
クメールの祠堂が立てられていたと考えられています。
そして、アユタヤ時代には、現在の祠堂の形に改築されています。
祠堂の東正面には、急な階段があり、登って行くと、
祠堂内部に、仏陀像が祀られ、周囲の漆喰の壁には、壁画が描かれています。
内部は写真撮影禁止でした。
遺跡を南東から見たところ。
現代の寺院に、過去の痕跡が僅かに残っている
だけでは?と思っていたので、
遺跡がラテライトの外壁に囲まれており、
驚きました。
でも、これは、現代に造り直されたものだと
思います。
外壁の外には、こんな池もあります。
池の外枠は、新しそうですが、
中のレンガ積みは古い物かもしれません。
東正面から遺跡を見たところ。
高い祠堂は、アユタヤ時代に改築された物で、
高さは34.6mあります。
正面の塔門を中に入った脇には、
装飾用の付柱がありました。
東塔門内部から、北側の外壁を見たところ。
東塔門内部から、南を見たところ。
東塔門から南方向の外壁内側を見たところ。
地面は、深く掘られています。
東塔門から北方向の外壁内側を見たところ。
こちらの地面も掘られています。
昔の遺構が出てきています。
東塔門を中に入り、西方向を見たところ。
こちらも地面は掘られており、
発掘調査中だと思います。
東塔門を中に入り、北方向を見たところ。
ラテライトの基壇があります。
その基壇を、角度を変え、南西から見たところ。
基壇の横では、発掘調査をしている人がいました。
ラテライト石のサイズや間隔を測定し、
記録に取っています。
基壇のそばの土を掘ったあとを良く見て見ると、
木の根っ子に、土器の破片が絡まっています。
基壇の上部にあった石積みです。
基壇の上面です。
東塔門から西へ進む道に戻り、少し西へ進んだところで、
東塔門方向を振り返ったところ。
東塔門から、西へ進んで行くと、
Viharn(礼拝堂)があります。
今は、昔の礼拝堂は無くなり、
仮のような屋根が建てられています。
礼拝堂の北側の地面も掘られています。
土が掘られたところを良く見て見ると、
細長く囲われたレンガの跡がありました。
水桶のような?何の目的で作られたのでしょうか?
礼拝堂の基壇北面です。
ここにも細長く囲われたレンガの跡があります。
何なのでしょうか??
礼拝堂基壇の南面です。
どうしてこんなに土に埋まったのでしょうか?
誰かが、意図的に埋めたのでしょうか?
礼拝堂の基壇の上面の東端部です。
礼拝堂内部です。
礼拝堂の柱の基台跡。
おそらく、この基台に立っていた柱の太さを想像すると、
りっぱな礼拝堂がたっていたのではないかと思います。
礼拝堂を正面から見たところ。
仏陀像が祀られています。
仏陀像が置かれている基台です。
上半身が真っ黒な仏陀像が安置されていました。
この仏陀像の裏にも、
背中あわせで、もう一体の仏陀像があります。
最初の説明によると、
この仏陀は、Pra Mongkolburiと呼ばれており、
Ayutthaya Styleの仏陀像と言う事です。
仏陀像の前には、こんな大穴がありました。
これも何かの跡だと思います。
礼拝堂の南側です。
西から東を見たところ。
礼拝堂の南側です。
礼拝堂の南側です。
東から西を見たところ。
礼拝堂の南側です。
こんな遺構もあります。
同じ場所を別の角度から見たところ。
丸い穴がありますが、柱の跡だと思います。
先程見たPra Mongkolburi像です。
背中合わせの仏陀像がいます。
礼拝堂の西には、回廊があり、
その回廊の内側に入ったところに、
Stone Bellがありました。(南東角)
回廊の内側に、トウモロコシ型の祠堂がそびえていました。
中央祠堂の周りには、南、西、北に小祠堂があります。
東には、中央祠堂の前殿に向けての急な階段があります。
中央祠堂の高さは、34.6mあるようです。
南東から見たところ。
ラテライトでできた像がありました。
これも、ラテライトの像です。
法輪もありました。(北東角)
近くで見たところ。
その法輪を裏から見たところ。
摩耗が激しいですが、
こんなレリーフもあります。
北東から見たところ。
北西角の基壇です。
北西から見たところ。
南西から見たところ。
南西角の基壇上には、仏陀像があった。
祠堂の漆喰装飾です。
その拡大写真です。
祠堂の漆喰装飾です。
祠堂の漆喰装飾です。
祠堂の漆喰装飾です。
回廊から外へ出て、
更に遺跡の外壁の周りを
歩いて見たところ。
外壁上部の装飾用レリーフです。
これも外壁上部の装飾用レリーフです。
仏陀像が彫られています。
外壁上部に置かれる装飾用レリーフが
無数に置かれています。
修復中の外壁です。
地中に埋もれていた外壁が見え、
時代による材質の違いや、変遷が
うかがえます。
外壁を修復中です。
東塔門から、100m程、東にあったチェディーです。
Viharn(礼拝堂)の柱の跡があります。
この遺跡の北側の道を挟んだ向こうにありました。
この遺跡は、Dvaravati時代から、クメール、アユタヤ期を経て、現代にまで、
改修されながら信仰の対象として続いています。(遺跡と呼ぶべきではないかも?)
どの時代の遺跡として紹介すれば良いか、悩みましたが、
Dvaravati時代の遺跡として紹介しよう!